【プレスリリース】勝海舟記念館開館2周年記念特別展「交差する主従 慶喜×海舟」初公開資料で幕末維新史の裏側における両者の関係を紐解く

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更新日:2021年8月23日

日時
令和3年9月17日(金曜日)から12月12日(日曜日)まで
 
場所
大田区立勝海舟記念館(南千束二丁目3番1号)
 
(内容)
 大田区立勝海舟記念館は、今年9月に開館2周年を迎えます。2周年記念として「交差する主従 慶喜×海舟」をテーマに特別展を開催します。
 共に江戸無血開城を成し遂げ、明治時代に入ると対照的な境遇に身を置いた、徳川慶喜と勝海舟。時代の奔流の中、両者は互いをどう捉え、幕末、そして明治の時代を生きたのか。
今回の特別展で初公開の資料を含む館蔵資料11点で、幕末維新史の裏側における両者の関係を紐解きます。
 

【主な資料】
1 慶応3(1867)年11月28日付〈勝海舟宛〉大関増裕書状
大政奉還後、慶喜が「我が勝安房の如きは」、薩摩の小松帯刀・大久保利通、土佐の後藤象二郎に並ぶ「実に非凡之士」であると評した、と伝える資料。
2 慶応4(1868)年3月4日付〈勝海舟宛〉大久保一翁書状付・同日付〈大久保一翁宛〉徳川慶喜書状写
慶喜が、東征大総督府への海舟派遣を取りやめることを決定したことを示す書状。文中で慶喜は海舟を「千両箱」に例え、その身柄を新政府方に抑留されることを恐れている。新政府との交渉に慶喜の意思が介在していたことを示す貴重な資料。

画像:特別展の展示品の一部
特別展の展示品の一部

3 明治25(1892)年2月9日付〈徳川慶喜・同家達宛〉勝海舟願書案
長男小鹿に先立たれた海舟が、慶喜の十男・精を勝家の養子に迎え、勝の家と伯爵の爵位、財産を徳川氏に「奉還」したいと、慶喜と徳川家達(徳川宗家の当主)に願い出た願書の控。文中で海舟は「自分の死後は勝姓を消して徳川姓にして欲しい」と望んが、慶喜は海舟の死後、勝姓のまま精に家を継がせ、
海舟の長年の労に報いた。
 
大田区立勝海舟記念館ホームページ(内部リンク)
入館料:300円、小中学生100円(各種割引あり)
開館時間:午前10時~午後6時(入館は30分前まで)
休館:月曜(祝日の場合は翌日)、9/13~9/16(展示替えのため)

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