大田区の工業
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更新日:2022年4月1日
みなさんは大田区にどのようなイメージを持っていますか?一度、大田区内をゆっくり歩きながら、まわりを見渡してみてください。小さな工場がたくさんあることに気付くでしょう。そう、大田区は日本を代表する小さな町工場を中心とした産業のまちです。
大田区の工業は、製造業事業所数と従業員数、従業員4人以上の事業所における製造品出荷額について、東京都特別区中第1位となっております。
【平成28年現在の数(経済センサス-活動調査)】
- 工場数 4,229(ピークの昭和58年には9,190件ありました)
- 従業員数(従業員4人以上の事業所) 21,869人(昭和60年をピークに減り続けています)
- 製造品出荷額(従業員4人以上の事業所) 4877億5320万円
また、従業員1人から9人の工場が全工場の約70%を占めており、大田区の工場のほとんどが従業員の少ない、小さな工場であることが分かります。なかでも、生産用機械器具製品・金属製品・はん用機械器具製品など、機械金属加工の工場が多くを占めています。
このように、小さな工場が発展した理由には、次のようなことが考えられます。
1 工場と住まいが近い(もしくは一緒)
2 従業員全員が家族のように仲良し
3 近くの工場同士が協力して、お互いの専門技術を生かした仕事をしている
4 急ぎの仕事にも全員で対応している
5 みんなで工夫して技術を磨いている
江戸時代から明治時代 | 海苔を養殖したり、土産品として麦わら細工を生産する。 |
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大正時代 | 東京湾沿いに工場ができてくる。関東大震災の後には都市部にあった多くの工場が転入してくる。 |
昭和初期から20年代 | 戦争に使う戦車、機関銃などの軍需品をつくる。戦争が終わったあとは鍋、弁当箱、洗面器などの日用品やリヤカー、農具などをつくる。 |
昭和30年 | 工場数は東京都23区で4位、従業員数は1位になる。 |
昭和37年 | 東京オリンピックのための港湾整備により漁業組合が漁業権を放棄し、海苔の養殖ができなくなる。広い海苔干し場に多くの工場が集まってくる。 |
昭和40年頃 | 工場の公害問題が発生し始め、大きな社会問題となる。 |
昭和48年頃 | 2度にわたるオイルショックにより、仕事の量の減少と親企業からのコストダウンに苦しむ。そこで、一社依存型(系列)から特定の加工分野に専業化し、複数の企業から仕事を受注することによって危険を分散する体制を整える。 |
昭和50年頃 | めっきや鋳鍛造などの工場が住居から離れた東京湾の埋め立て地(京浜島・城南島など)に集団移転する。大企業が地方や海外に移転する動きが加速する。 |
昭和51年 | 工場数が東京23区で第1位になる。 |
昭和58年 | 工場数が過去最高の9,190件となる。 |
昭和60年代 | NC工作機械(数値情報を入力すると自動で金属などの材料を加工してくれる工作機械)を導入するなど、多種少量、短納期、高精度の生産に対応した体制を整備する。 |
平成元年から | 企業数は減少するが、技術力の高いモノづくりの集積は残っている。 |
- 埋め立て地(京浜島、城南島、昭和島):まちの中では公害問題が出てくると思われる工場が多く移転し、工業団地ができています。一方、ここには緑が多い公園もあり、区民の憩いの場にもなっています。
- 東京湾近くの地域(大森南、糀谷、羽田など)や内陸部(仲池上など):住宅と工場がそばにある地区で、機械金属加工や電気関係の小さな工場が多く集まっています。
- 多摩川沿いの地域(下丸子、多摩川、矢口など):計器やネジといった精密機械の工場が多く集まっています。一方、大きな工場もこの辺りに集まっています。
- 多摩川河口の地域(六郷など):住宅と工場がそばにある地区で、機械金属加工の小さな工場が多く集まっています。最近では、工場の跡地にマンションが建設されるなど、住宅化がとても進んでいます。
- 大森駅、蒲田駅周辺:工場は少なく、商業を中心に栄えています。
【後継者不足 】
工場のあとをつぐ人がいないということです。あとをつぐためには、技術を身につけなければなりませんが、そのためには長い時間がかかります。しかし、後継者を育てることは、工業の存続・発展には欠かせないことです。
【海外や地方での生産】
働く人に支払う賃金が安い海外や地方に、工場が移転するなどして、区内の工場に製品の注文がなかなかこなくなってきています。
【住宅の増加】
工場が移転した跡地に、マンションなど住宅が増えることにより、今までどおりの仕事をすることが困難になってきています(音や振動などに対する苦情など)。
《大田区産業振興基本戦略》
大田区では、工業集積の維持・発展を図るため、さまざまな支援を実施しています。事業の高度化に伴う工場の拡張や新規立地の促進、ものづくり人材の育成、新製品・新技術の開発支援、産学連携の促進、創業支援などの強化を図っています。
今後、これらの支援をさらに充実するとともに、羽田空港の国際化などの地域の特性を活かしつつ、新市場の開拓支援や新規成長産業の創出に取り組み、大田区のものづくりを国内外に発信することが課題となっています。
大田区では、平成21年3月に『大田区産業振興基本戦略』を策定し、以下の方針で支援策を強化しています。
【工業集積の維持・発展に向けた支援】
区内の工業集積の維持・発展を図るため、賃貸工場や創業支援施設(インキュベーター)などの産業支援施設の整備・運営を行います。また、区内企業の成長促進のために、事業の高度化に伴う工場の新増設や区内への移転経費の一部を助成するとともに、工業専用地域などの空き地を区が取得し、賃貸などで供給する再開発事業を実施します。
【技術革新・経営革新の支援】
区内中小企業の技術力、製品開発力の向上を図るため、新製品・新技術開発の支援、産学連携、知的財産活用の支援を行います。また、技術力を収益の向上につなげられるように、ビジネスサポート事業やセミナー開催などのマネジメントの支援を通じて経営革新を促進します。さらに、各種融資制度による資金調達の安定化や企業間ネットワークの支援により、企業の経営基盤の強化を図ります。
【取引の拡大・海外市場展開】
区内中小企業の取引拡大のため、受発注相談など個別の企業支援、工業フェアなどの展示会の開催、企業の国内外の見本市出展の支援を行うとともに、海外市場や新市場(航空機、環境など)の開拓に取り組む企業の支援を行います。また、区内企業の技術力を広くPRするため、商工団体などと一体となって様々な事業を推進します。
【ものづくり人材の育成・確保】
ものづくり産業の担い手を育成・確保するために、次世代を担う小中学生のものづくりへの関心を高めるとともに、区内・近隣の教育機関と連携した人材育成に取り組みます。また、若者のものづくり産業への就業を拡充するため、中小企業とのマッチングを支援します。
【環境に優しいものづくり】
持続可能社会への変革の一翼を担うため、区内企業が取り組む省エネや新エネ技術の導入を進めるとともに、区内企業の技術力を活かした環境関連技術の開発を促進します。また、ISOやエコアクション21の取得を促進し、環境配慮型経営の取り組みを支援します。
《産業プラザの活用》
平成8年に産業の拠点として、大田区産業プラザ・PiO(ピオ)を開設しました。ここでは、多くの人々が交流し、お互いの知識を発表したり、工場に働く人たちのための講演会や展示会なども開催されています。また、景気の動向や技術指導講習会のお知らせなど、さまざまな産業情報をWebサイトや広報誌「テクノプラザ」により提供しています。その他にも、インターネットを使った仕事に取り組んだり、海外企業との取引や融資、仕事の受注・発注などを希望する工場の相談などに応じています。
以上、大田の工業の特徴や今後の方向性など説明いたしました。興味を持っていただけたでしょうか?さあ、これからみなさんと力をあわせて‘工業のまち大田’の未来をつくりあげていきましょう。
大田区による、工業者に対する助成金や賃貸工場など、工業振興に関するWebサイトです。
公益財団法人大田区産業振興協会による、受注拡大や海外取引への支援、人材の確保・育成、産学連携や勤労者の福利厚生などに関するWebサイトです。
お問い合わせ
産業振興担当(工業)
大田区南蒲田一丁目20番20号
電話:03-5744-1376
FAX:03-6424-8233