第11回 川瀬巴水 学芸員コラム

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更新日:2022年3月31日

旅先を描く(2)

 版画絵師・川瀬巴水の生涯と画業についてのコラムをお届けします。第11回は第10回に引き続き旅好きであった巴水が訪れた旅先の風景を主題としたシリーズ作品(連作)をご紹介します。

『新日本八景』と『日本新八景』

 「昭和」という新時代の始まりにあたり、代表とするに相応しい景勝地を選定するため、『大阪毎日新聞』と『東京日日新聞』が企画して、山岳・渓谷・湖沼・海岸・河川・草原・瀑布・温泉の8分野の人気投票が行われました。公募を昭和2(1928)年4月から5月にかけて実施し、7月5日に選定された景勝地を「新日本八景」として発表。これをテーマとした巴水の風景画8図と、山川秀峰による美人画4図からなるのが『浮世絵紋様集』です。発行所である美術社は当時東京市四谷区左門町4番(現東京都新宿区左門町)に所在していました。初摺には美術社の「美」が版権印として押されていますが、この字の崩し字が「るみ」と読めるため、本シリーズ作品は「るみ版」とも呼ばれています。
 『浮世絵紋様集 新日本八景』の制作年代が記載されているのは「日光 華厳瀧」(昭和2年秋)と「木曽川(犬山)」(昭和2年12月作)の2点のみです。しかし、写生帖第21号には本シリーズの制作に関わる「土佐室戸﨑 昭和三、一、十四」「豊後冨士 別府観海寺」のスケッチが見えます。さらに同じ写生帖に「嶋々より上高地 西北六里二十二町 要七時間」といった「上高地 大正池」のための写生を行った可能性を想定させる記載や「美術社 二月六日 四十円 三月丗一日 五十円」と美術社からの画料の受け取りを示すと思しい記事もあることから、本シリーズは昭和2年から翌3年にかけて制作されたと考えられます。


川瀬巴水「日光 華厳瀧」昭和2年秋


川瀬巴水「木曽川(犬山)」昭和2年12月作

 美術社発行の新興版画『日本新八景』は『浮世絵紋様集 新日本八景』の縮刷版です。タトウに付された奥付に昭和6年4月と朱書きされ、裏面には同年6月に同書の受贈を受けた旨の書き込みが見えるので、この縮刷版は同年に発行されたとみるのが妥当です。縮刷版のため、先に出版された大判の作品に比べ、線が全体的に簡素化されていること、縮刷版の「別府(観海寺)」は雨が強調されていることなどが指摘できます。


川瀬巴水「別府(観海寺)」『浮世絵紋様集 新日本八景』


川瀬巴水「別府(観海寺)」『日本新八景』

岩﨑家からの依頼制作『元箱根見南山荘風景』

 『元箱根見南山荘風景』は岩﨑家からの依頼で6図制作されました。見南山荘は明治44(1911)年に岩﨑彌太郎の甥である岩﨑小彌太が建てた別邸です。作中にも描かれている庭園のツツジやシャクナゲは別邸を建築する際に植えられたとされます。
 巴水は作品制作にあたり、ツツジが見ごろの昭和10年5月21・22日と6月6日から8日の2回に分けて写生しました。作品が6図完成したのは 画面に制作年が摺り込まれた同10年夏頃のことと推測できます。画面下には空摺りで「見南山荘風景」と作品番号が摺り込まれています。

 巴水は大正期にも岩﨑家から依頼を受けて作品を制作しています。深川の岩﨑家別邸と庭園を描いた『三菱深川別邸の図』(8図)は、三菱本社が国内外の関係者や得意先への贈呈品として企画・制作しました。当初は日本画家・鏑木清方へ制作を依頼しましたが、風景画ならば巴水が適任であろうと清方より推薦され引き受けたという経緯があります。作品は国内だけでなく海外へも配布されたため、「川瀬巴水」の名が広く知られるきっかけとなりました。

歌川広重とは視点の異なる『東海道風景選集』

 昭和6年から取り組んだ『東海道風景選集』は、 同17年までに断続的に行われた東海地方や関西地方の写生旅行をまとめたものです。本シリーズは巴水の版画が歌川広重に似ていると言われたことを動機に制作が始められたといいます。巴水自身は「之で私は製作上に浮世絵から特に学ぶといふ事はありません。知りすぎてゐるからかも知れませんが、広重の風景画を模倣追随などしません。広重よりはどちらかと言へば、明治の小林清親の方が好きです」(川瀬巴水「半雅荘随筆」『浮世絵芸術』第4巻第3号、1935年)と記しています。シリーズ名に「東海道」と付けたのは、描写や彫り・摺りの技術が近世の浮世絵とは違っていることを表現する意図があったと考えられます。
 版元・渡邊庄三郎は巴水が描く東海道について「現今の東海道を気の向いた時と序の時に旅行して徐々に感じの良い所丈を上梓する予定で進んで居ます」(『木版画目録』渡邊版画店、1935年)と記しています。仕上がった作品は従来の宿場を描いたものとは違い、巴水が選んだ静かな東海道沿いの風景が展開されています。

東日本の風景を描いた『日本風景集 第一輯 東日本篇』

 本シリーズは昭和7年9月から11月の北海道・東北旅行、同9年8月から9月の上州・東北旅行をもとに制作された24図からなります。

北海道・東北旅行から
 昭和7年9月、青森県の人の誘いをきっかけとし、巴水は東北への写生旅行に出発します。当初は1ヶ月ほどであった滞在予定が旅先で写生や巡回展覧会を行い、約3ヶ月の長旅となりました。東北への旅が良い刺激になったのか、昭和8年頃の作品にはこれまでの建物や草木などを細かく描写する作風から、描写対象が省略されたりするなど新たな構図や表現方法の変化がみられるようになります。
 巴水は、昭和7年9月9日に国際観光局・仙台鉄道局・十和田保勝会・青森商工会議所の後援を得て北海道へと旅立ちました。函館の新聞紙上では「時代的交渉や非科学的の効果から来る別個な面白味ある芸術品である」(「巴水画伯来函」『函館新聞』1932年9 月13日)と評され、函館の森屋百貨店において9月15日から4日間の予定で展示会を行いました。続いて、巴水は札幌の三越でも9月25日から10月2日まで作品200点余りを展示し、即売会を開催しました。そして展示会の合間に小樽や札幌にて写生を行い、巴水は10月中旬に青森へ向かいます。
 青森では「巴水版画展覧会」(10月21・22日)が八戸経済倶楽部にて催され、八戸の新聞によれば急遽開催された展示会にも関わらず盛況であったと伝えられています。八戸へは地元の有力者・六代目橋本八右衛門を訪ねますが、その息子である音次郎を案内役に湊川口や種差海岸を見て回り「八之戸 深久保」を写生、日を改めて「八之戸 鮫」のスケッチも行っています。


川瀬巴水「八戸 深久保」昭和8年6月作


川瀬巴水「八之戸 鮫」昭和8年1月作 晴天版

上州・東北旅行から
 「弘前 最勝院」は東北地方随一の美塔とも評される最勝院の五重塔を描いたもので、しんしんと降り積もる雪のなか、その前を番傘に着物姿の人物が通り過ぎようとしています。最勝院は青森県弘前市銅屋町にある真言宗智山派の寺院ですが、その伽藍は当地にもとあった大円寺のそれを引き継いでおり、五重塔も大円寺の宝塔でした。写生されたのは昭和9年9月5日であり、当日雪は降っていません。制作過程で雪景色に変更されたことが指摘できます。巴水の日記によると、摺り合わせが行われたのは昭和11年2月3日のことでした。


川瀬巴水「弘前 最勝院」昭和11年2月作


写生帖第47号 弘前大円寺五重塔最勝院(昭和9年9月5日)

 ところで、巴水作品の売れ筋である赤い建築物と白い雪景色の組み合わせが採用された本作には、その制作過程を撮影したフィルムを利用して渡邊版画店が制作したステレオ写真が残されています。
 「COLOR STEREO 木版画の出来るまで」と題されたこの資料は、少し異なる角度から撮影された2枚のスライドが一枚の台紙にはめ込まれており、これを専用の装置に入れてのぞくと立体的に見える仕様です。12枚の台紙には、巴水(絵師)が下絵を描き、彫師・摺師の手を経て1枚の新版画作品が生まれるまでの写真と解説が付されています。(1)写生を行う、(2)原画制作、(3)線描き、(4)色ざし、(5)摺り合わせ、(6)出版、という、1つの作品が出来上がるまでの新版画の制作過程において、絵師・彫師・摺師の三者の連携があったことがよくわかるものといえるでしょう。
 本資料の制作年は本体には記されていません。ですが、日記に「店の仕事場 天然色写真さつゑいに付 朝よりよばれ夕方までかゝる」(昭和27年2月6日)と見え、さらに同年7月28日の記事に「店でスライドの版画出来る迄を二箱もらふ」とあるため、この時期には完成していたものと推測できます。

西日本の風景を描いた『日本風景集 第二輯 関西篇』

 本シリーズは『日本風景集 第一輯 東日本篇』に続いて制作されました。昭和8年2月の関西・東海旅行を始まりとして、同9年1月から2月の四国・関西・東海旅行の写生から19図を出版します。さらに、昭和14・15年の朝鮮旅行からの帰路に周遊した山陽・関西方面、および同17年に和歌山へ漫画家・挿絵画家達と訪れた戦傷病者慰問旅行の旅先でのスケッチをもとにした作品を加えて計24図で完成としました。昭和8 ・9年のスケッチ旅行では、『東海道風景選集』や戦後の単独作品のもととなった写生も含まれており、充実した旅行であったということができます。
 この連作に収められた「京都 知恩院」と「京都 清水寺」はいずれも京都の著名な寺院を画題としたものです。前者は京都市東山区に所在する浄土宗の総本山たる知恩院の三門を描いています。この三門は元和7(1621)年に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠によって建立されたものであり、現存する木造建築としては国内最大級の二重門です。柱に貼られた千社札には版元や彫師・摺師の名前を確認することができます。
 巴水は後者の清水寺をしばしば取り上げており、本作の他にも大正10年作の「雨の清水寺」『旅みやげ第二集』や昭和25年作の「清水寺の暮雪」などの作品が知られています。このうち、構図として類似するのは前者といえますが、同作が横版であるのに対して本作は縦版です。加えて、天候や時間帯にも変更が施されているため、本作は前作とは趣の異なる作品に仕上がっているといえるでしょう。なお、清水の舞台前面の欄干付近に立って眼下の景色を眺める男性は巴水自身であろうと推測されます。


川瀬巴水「京都 知恩院」昭和8年8月作


千社札部分

川瀬巴水「京都 清水寺」昭和8年11月作

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